見学会レポート- 小川三知研究家・映像ディレクター 井村馨様

見学会にご参加いただきました、井村馨様に、ご自身の卒業研究でもありました『小川三知の生涯と作風の変遷』を
ご寄稿いただきました。
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  小川三知の作品を堪能できる空間

ステンドグラス作家小川三知の名を初めて知ったのは、2004年のテレビの美術番組である。東北の日本家屋に設えられた作品が紹介されていたのだが、西洋の教会で見るステンドグラスとは全く違っていることに衝撃を受けた。ガラスだというのに、植物を描く線は滑らかでディティールが細密、構図には余白がバランスよく取られており、日本画と見紛う作品だったからだ。西洋の技術であるステンドグラスに、東洋の絵画を組み合わせるという斬新な発想、しかも明治・大正時代に生きた人物の作品だという驚きと共に「小川三知」の名が頭の中に残った。

10年後、美術大学に入学した私は「小川三知」(以下三知)をテーマに論文を書くことになり、最初の取材場所として黒沢ビルを選んだ。ここが三知の弟・小川剣三郎が開業した病院だったこと、第二次世界対戦の空襲から逃れ、建設当時のままの建物であること、竣工の年号(1929(昭和4)年)から三知の最晩年の作であることから、特別な何かが眠っているに違いないと思ったからである。訪れてみると、まずは一気に昭和初期にタイムスリップした感覚になった。ドア、洗面台、階段など、初めて目にするものでもなぜか懐かしく、心地よさに包まれた。オーナーの方の話によると、建築に興味のある方も多く来訪されるとのことだ。

鶏鳴告暁

玄関を入ってすぐに、欄間の作品《鶏鳴告暁》(上図)が目に入る。《鶏鳴告暁》には、つがいのニワトリが描かれている。メスは地面をついばみ、オスは朝日に向かって鳴いているという図案である。オスの羽の色の構成とメスの体が白いことから、このニワトリは日本三大長鳴鶏(ながなきどり)の一つ、東天紅(とうてんこう)であることがわかる。東天紅のオスの実物の姿は非常に美しく、三知はその再現に心を砕いていることがわかる。羽の一枚一枚の色、表情の力強さが生命感を与えている。朝の太陽の光の表現に注目すると、太陽の半円に近いところと遠いところのガラスの選び方が異なっており、温度までもが伝わってくるようである。

一階の突き当たりには、ドアに真四角の窓がついており、図案化した花の 作品がある(左図)。花は白く細長い葉、そしてなぜか赤い丸が描かれている。これは何の花なのか。赤い丸はデザインという考え方もあるが、これを実だと仮定すると、白い花、葉の形、赤い実で予想されるのはクチナシである。また葉の形は違うが、花と実の色と形はアケビ科のムベという植物にも似ている。三知は自身の日記に、ムベの苗木を買い求め自宅兼工房の庭に植え、自ら世話をしていたことを綴っている。ムベだけでなく、熊笹、ざくろ、びわ、柿なども植え、作品のモチーフの参考のためなのか趣味だったのかは不明であるが、好んで世話をしていたようだ。

余談だが、三知の日記には、彼が作品作りに真摯に取り組んでいたことが読み取れる箇所が多々ある。仕事で日々忙しく動いている中で、近所に住む東京美術学校の同期生である板谷波山(いたやはざん)(陶芸家/1872(明治5)年- 1963(昭和38)年)と、煎茶や盛物(果物などを器に盛る)の稽古に通っていた。また、杉浦非水(すぎうらひすい)(近代日本のグラフィックデザイナー/1876(明治9)年 - 1965(昭和40)年)の『非水百花譜』(春陽堂刊、1920年$20141921年)を定期購読していた。この本は植物の学名や特徴の説明、写真、非水の写生画をまとめた植物図鑑のような雑誌で、三知と波山は欠かさず購入していた。どちらかが代金の持ち合わせがない時は、お互いに金銭の貸し借りまでして手に入れており、二人にとっては図案を練るための重要な資料であったようだ。作品が生まれるプロセスには、感性を磨き続ける努力があったことがわかるエピソードである。

玄関を入ってすぐに、最も多くの作品が集まる場所、応接室がある。2メートル四方にも満たない小さな空間に5点の三知作品があり、部屋に入ると作品に囲まれる形となる。入り口ドア上の「ウメ」(左図上)、入って正面に「ツバキ」(左図中)、奥には「流水に黄セキレイ」(左図下右)その横に「タチアオイ」(左図下左)という4点の窓の作品と、天井に六角形の電灯笠1点がある。窓の作品は、どの作品も三知らしい日本画のような線と色調が生かされているが、なぜか窓の形とモチーフに統一感がない。このようにバラバラなイメージの作品を一部屋に集めることは珍しい。この構成の狙いは何か。モチーフについては、おそらく四季を表現したと考える。つまり「ウメ」は春、「タチアオイ」は夏、「流水に黄セキレイ」は秋、そして「ツバキ」は冬を表し、入り口から時計周りに四季を見ることができる。これは日本の襖絵や屏風絵に見られる構図であり、四季折々の風景を描くことで、その空間を楽しむという演出である。もしそうであれば、学生時代に日本画を描き「西洋と東洋の絵画を融合させたい」という思いを持っていた三知らしい発想である。

この部屋で違和感のある作品がある。それは天井にある六角形の電灯笠である(下図左)。周囲には、植物や動物(ウサギ、キツネ、カモシカか?)、青い鳥(オオルリ、コルリ、ルリビタキか?)のモチーフが配され、6面全部のデザインは違っている。このデザインの細やかさは三知らしいようにも、部屋のコンセプトに合っているようにも思う。しかし下面に描かれた女性のモチーフに関しては(下図右)、イメージがかけ離れており、この部屋とは不釣り合いなモチーフである。三知の作風でも見たことのない図案である。この部分はおそらく三知以外の人物の作品か、外国製のガラスを切り出したものではないかと推測するが、今のところ確証はない。

こちらに伺い、とても安らいだ気持ちになった。建物が持つ昭和の落ち着いた雰囲気と、美しい作品に囲まれるという幸福感がそうさせたのだろうか。作品を近くで見ることができるというのも、三知の思いを受け取れる距離なのだろう、彼の生きた時代へすんなりと入っていける。やはり特別な何かがある場所なのかもしれない。

井村馨様プロフィール
1962年 石川県金沢市生まれ
2017年 京都造形芸術大学 芸術学部 芸術学コース(通信教育部)の卒業論文として
「小川三知の生涯と作風の変遷 $301C新出資料からの考察$301C」を書き、 同年9月に静岡県立美術館の論文発表会にて講演
現在、小川三知研究家・フリーランスの映像ディレクターとして活動中